政治家業の世襲

今や国会議員は世襲議員が主要な席を占めている。
世襲とは地盤・看板・カバンの三バンを引き継いで当選してくることであり、主に親から、兄弟から、親戚から引き継いだ形を言っている。
世襲議員は社会での実績がほとんどないまま国政に出ている人が多いように思う。若くして議員になってることを自慢げに述べられているが、やはり社会経験を通して得られたものをもとに政治家になるという人とは、その人生経験の重さが異なるだろう。経験量の違いは、重要な判断が必要な場合に、結果として差が出やすい。通常の仕事でも同じ。経験量が多い人のほうが、正しい判断ができる場合が圧倒的に多い。アドバイスを聞くときにも、経験のある人とない人のどちらを信じるかを考えれば、容易にわかるだろう。
これは国民にとっては死活問題にもつながるので、大事な要素だと思う。
政治家としてあとを継ぐなら、せめて選挙区は他の都道府県からの出馬にして欲しい。本当の実力を評価される必要があるからだ。投票する人たちには、選挙公約や候補者の人となりや実績で評価していただきたいし、その際に「これまで地元でお世話になった人の子どもだから」の要素は必要がないはずである。
三バンが最初からある・ないの差は大きいし、優秀な人材が世に埋もれてしまう可能性が高く、結果として国の損失は大きい。
世襲が国を危うくするというのは、北朝鮮やシリアを見ていればわかるだろう。指導者の能力は劣化していくだけ。世襲支配は腐敗を招く。
国を導くなら、社会の中で実績を残した人に任せたいと思うのだが、利権と票が結びついた日本では、その仕組を変えようとする人すらいないのが残念だ。まさしく票利一体の世界である。