人を殺す奴は共食いしてると思ったほうがいい

19人もの知的障害者が殺害されてしまったやまゆり園の事件。犯人は「重度の知的障害者は死んだほうが幸せだ」という全く間違った考えに支配されてしまった人物であった。何が間違っているか。社会的にも間違っているだけでなく、まず生物としてあり得ない事柄であるということである。
生物の持つ「生きる意義」とは何か。それは「種を残すこと」すなわち、DNAを後世に伝えていくことであろう。これは生きているもの、動物、植物を問わず、すべてが種を残すことを目的に生きてることは生物の行動を見ていれば明白なはず。あえなく絶滅してしまう種はいるが、それは生物としてその時代に適合していなかっただけでのことである。人間も生物である以上、種を残すことを目的に存在しているはずである。
すると、今回の犯人の種を残すこととは全く真逆のことをやってしまっている行為は何だったのか?
そもそも同種が殺しあう行為は生物としては「共食い」を意味している。つまり、犯罪や戦争などでの人殺しは共食い行為なのである。
弱いもの、自分と考え・思想が異なるものは死んでもしょうがないというのは、弱い種が絶滅することとは全く別な話であり、同種同士が殺し合う事は異常なことなのだ。
これは自然が人間にだけ与えた「増えすぎた種を淘汰する仕組み」であるとしか思えない。
どういうメカニズムが働いて、こういう行動になるのかというのはわからないが、少なくとも人間を人間という種で捉えることができるのであれば、「人を殺そう」などと考えること自体が「異常」だということに気づくはずである。今回の事件は全く残念なことであると言わざるを得ない。
人種、宗教、政治思想が異なるだけで、殺してもいいと考えること自体が「共食いを許容」していることになってしまう。
人間という生き物はそもそも存在していいのだろうかとも思えてくることが逆に恐ろしい。