好きなことをやりなさい

このたびノーベル物理学賞を得た赤碕名城大教授は「若い人には好きなことをやりなさいと言っている」と言っていた。もちろん遊んでいなさいと言う意味ではなく、自分に合った仕事をしなさいということなんだろう。
振り返って、自分がやりたかったことって何?って考えてみると、10代の頃は漠然として「実業家になる」「南米もしくはオーストラリアに移住する」というのがあった。
夢を追いかけるためには、周りの理解も必要だろう。うちの母親なんて、この話をすると半分馬鹿にしてたからね。「医者になれ」「公務員になれ」が口癖のようだった。これを十代の頃から聞かされていると、反抗期というのもあったんだろうけど、どちらにも絶対になりたくないという気持ちが強くなった。
で、結局は会社勤めになってしまったわけだけど、これはあらゆることから逃げた結果なのかも知れない。
自分に足りなかったのは「挑戦する気持ち」だったと思っている。何だかんだで親の庇護の元で過ごして、大学院まで出たけど、何かに挑戦したかと言えば、大学受験とバイクの大型免許くらいで、後はダラダラ過ごしていた。
高校時代、大学は経済か経営学をやろうと思っていたが、文系科目が苦手で、担任からは理系へ進んだ方がいいと言われ、そちらに転向したが、そちらではやりたいことが見えてなかった。経営学をやっていたら、人生変わったかもなあ。
大学や大学院は決して楽ではなかった。だって、素養のない分野に進んだからね。だから高校の途中からは「好きなことはやってなかったけど、好きな科目ばかりやっていた」ということになる。好きな科目は数学と化学。実業家になるにはちょっとなあ。って、化学分野で何かを発見して起業するという手もあったのかも知れないけど…日本の風土からはなかなかそういう発想には及ばなかった。
就職はバブル前だったせいで、すごく売り手市場だった。会社の面接には引っ張りだこで、交通費や宿泊費まで全部会社持ち。交通費稼ぎに面接をはしごする奴もいたくらいだったしね。思えば、自分には追い風の吹いていた人生だった。会社の中の立場でも、するりするりと躱しながら過ごしてきた。
そして今。来年3月に会社をやめようと思っている自分がいる。これから残りの人生で、「自分が好きなことをやる」つもり。それは何かを考えてみたが、やはりこの日記を書き始めたきっかけとなった「チェンマイへの道」へ進むことだ。その道のりはまだ遠い。かみさんや子どものことや親のこと。こうしたしがらみをうまく処理しながら、進めていきたい。私にはしがらみを解きほどいてまで、自分を押し通すなんてことはできないわけ(実がそれが逃げ口上になってるのかも知れないけど)で、その中でも最良の選択をして行きたいと思う。まずは会社というしがらみを解いてね。